「丸付け」なんかするな

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そろそろ梅雨入りですね。
気圧のせいか、頭の頭痛が痛い、キツナイです。


さて、前回の記事「ノートの取り方」で予告した通り
今回は丸付けに関するお話です。



ボクは、子どもたちに丸付けをさせることに大反対です。

萌昇ゼミの講師たちでも、「丸付けまでが宿題」という者は多いんですが
それって、仕事を放棄してることになってませんかね?

キツナイは、少なくとも授業の中で解説をして
誰が、どこを、どんなふうに間違えているのかを把握しなければ気がすみません。


学校の課題なんかは、もうほとんど「丸付けまでが宿題」のようです。
そりゃそうでしょうね。
学校の先生たちはそれこそ何十人、下手したら百数十人を見ているんでしょうから
全員の課題チェックまでしてられませんよね。

ただでさえ、昔よりも宿題の量は増えていますし。


だけど、キツナイはかたくなに自分でチェックします。
講師を初めて28年くらいたつのかな?
集団指導の塾で、回収した宿題が40-50人分でも
すべて自分でチェックしていました。

持ち帰って、休みの日や空き時間、
ひどいときには定食屋で食事をしながら
必死に丸付けをしていました。


そうじゃないと、真剣に取り組んだ生徒に失礼な気がするんですね。
その代わり、答えの丸写しみたいなズルをされると
激しく怒り狂いますけどね。


さて、この丸付け。
最大のポイントは、

   どんな問題で
   どんな間違いをしたのか
   どうすれば正解だったのか
   正解するには何が足りないのか
   どんな対策を取ればよいのか

そんなことを理解して、次に生かすことが
もっとも大切
なのではないでしょうか

そして、果たしてそれが子ども任せでできるのか。
甚だ疑問です。


宿題は「罰」ではありません。
その生徒に必要だからやってもらうものです。

それなのに、やらせて、正答チェックをさせて、それで終わり
そんなんだったら、真面目にやる気も起きませんよね。

これでは、勉強嫌いを量産するだけだと思うんです。



自分が学生のとき
宿題でも日誌でも、先生がちゃんと読んでくれて
コメントしてくれていたらうれしかったもんです。


逆に、丸付けてポーンとハンコ押して終わり、
そんな先生だととてもがっかりした記憶があります。



子どもたちはですね、自分で丸付けをすると
「あってた!」「ちがってた。。。」で終わっちゃうんですよ。

ひどいケースだと
「惜しかったから△」とか
ちょこっと手直しして「〇にしちゃおう」とか
平気でやりますから。

それでは成長は望めません。


必要なのは〇付けではなく
「×付け」
なんです。


その上で、その「×」が
 一文字のスペリングミスなのか
 見当違いの単語だったのか
 文法を理解していないのか
 そもそも空欄なのか
どんな「×」なのかによって
その後に取るべき行動は全く違ってくる
わけです。


それをちゃんと見て、指導するのが
僕らの仕事
だと、そう思うんですよね。

だから、キツナイが生徒たちに課す宿題は
「丸付けまでしてこい」とは言いません。

むしろ「丸付けはするな」と言っています。

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